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2009年3月30日 (月)

ピーちゃんお庭に

先日、ピーちゃんの遺骨を庭に埋めてやりました。

四十九日までには納骨を済ませたほうがいいと聞いていたので、天気の良い日を選んで。

ちょうど穴を掘り始めた頃、ケンちゃんがお散歩しに出てきて、ケンちゃん親子も一緒に見届けてくれました。

Ken

ケンちゃんのママに、「もう涙は出んかね?」と聞かれ、「うん、大丈夫。」って応えたけど、ウソです。毎日涙が出ない日はありません。この時もホントはウルウルきてたけど、一生懸命我慢しました。

P1

いつまでも傍に置いておけないのは寂しいけど、お散歩嫌いで、お庭散策が毎日の日課だったから、ピーちゃんもここなら安心できるかなって場所を選びました。

ペットセレモニーの職員の方に聞いたとおり、フタを開けた状態で、骨壷ごと土が10cm被る程度に埋めました。

こうしておけば、ピーちゃんのお骨は5~6年かけて、土にかえっていくそうです。

ピーパパが、「かまぼこ板に、ピースケの墓って書いてたてようか。」と言いましたが、その意見は即却下されました。

P2

ピーちゃん、ここなら寂しくないよね?安心して眠ってね。
ママも頑張るよ。

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2009年3月21日 (土)

頑張るぞぉ!

どうも。
ふぬけ状態のピーママです。

なんかね・・。ピーちゃんがいなくなってから、なーんにもやる気しなくって。意識のないまま毎日がダラダラと過ぎていってます。
料理も手抜きばっかだし。3日連続鍋とかね

ピーちゃんの物も整理しなくちゃと思いながら、ほとんど手付かずです。トイレもそのまま放置してるし、家主を失ったボンビーハウスは空き家状態。

意欲的に何かを始める気にはまだなれないけど、でも、このままじゃダメだなって。
少しずつでも何か行動していかないと。と思い始めたところです。

で、手始めに、今週の初めにココログ出版に申し込みをしました。
ココログ出版とは、自分のブログを本にできるという、ニフティが行っているサービスの一つです。
1記事につき、写真は5枚までとか、コメント部分は掲載できないとか、納得いかない点はありますが、ピースケの歩んできた軌跡を本という形で残せるのであれば是非とも残しておきたいのです。

とりあえず、2008年1月から2009年3月9日までの記事を1冊の本にまとめることにしました。
いずれ、2007年分、2006年分も遡って本にしようと思ってます。お金も掛かるので、一度には無理でね

注文から製本まで、3~5週間なので、来月末には私の手元に届く予定です。

それともう一つ。
今の私の心の支えになっていることがあります。

3年位前に、ブラッシングで抜けた犬の毛を、紡いで毛糸にしてぬいぐるみ(編みぐるみ)を作ってくれるというサイトを見つけたんです。
そのホームページを見つけた日から、いつかピースケのぬいぐるみをつくってもらおうと、毎日のブラッシングで抜けた毛を、せっせと集め続けていました。
ぬいぐるみを作るには50g以上の毛が必要らしいのですが、これがなっかなかたまらなくて・・・。3年以上かけてやっと70g程度になりました。
ゴールデンとかだったら、数回のブラッシングで軽く溜まるんだろうな~。

ピーちゃんがいなくなった今は、これ以上毛を集める事はできません。いざ!ぬいぐるみ製作を依頼しよう・・・と意気込みは充分だったのですが。ところがです!改めてホームページを詳しく見たら、抜け毛はアンダーコートだけを集めなきゃいけなかったみたい・・。
抜け毛なら何でもいいのかと思って、アンダーコートもトップコートもごちゃ混ぜで集めてたんです、私

そんなぁ・・・と思いながらも、頑張って選り分け作業をすることに。これが、気の遠くなるような地道な作業で・・・。やってもやっても終わりが見えない
とかいいながら、こういうチマチマした作業、意外に嫌いじゃないんですけど( ̄ー+ ̄)
職場の同僚にその話をしたら、「さすが、ドMのピーママさん」と言われてしまいました。
私のイメージってどんなんよ( ̄○ ̄;)!

Coat1

Coat2

しばらくは、毛の選り分け作業に追われそうです。でも、アンダーコートだけになったら、たぶん50gもないだろうな。
ぬいぐるみ・・・・どうなる???

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2009年3月 9日 (月)

病理組織診断書

ピースケの主治医が、病理検査の診断書のコピーを郵送してくださいました。

何かの参考になるかもしれないので、記録を残しておきたいと思います。

病理組織診断書

診断名 : 腫大したⅡ型上皮の増殖と肺繊維化

       肝臓の多巣状性出血

       心房の繊維素血栓

       膵臓の膵島の減少および間質の浮腫

       浸透圧性腎症

所見 :  肺: 肺の一部において、肺胞壁の繊維化、Ⅱ型呼吸上皮の腫大、過形成により呼吸領域の狭小化を認め、加えて水腫を伴っていた。

      肝臓: 多発性の小出血病巣とともに褐色色素を貧食したマクロファージの集族巣も形成されていた。

      心臓: 左右の心房内に繊維素血栓が形成されていた。

      膵臓: 膵島の減少とともに間質に軽度の浮腫が見られた。

      腎臓: 近位尿細管の空胞変性を認めた。

コメント : 肺の呼吸領域の減少があり、肺胞のダメージを受けた後の繊維化病巣と診断した。肺胞ダメージの原因は不明です。また、リンパ腫の証拠は全く見られなかった。

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2009年3月 2日 (月)

ピースケの体の中で起きていた事

昨日、ピースケがお世話になっていた動物病院へ行きました。

ピースケが亡くなった日から、ちょうど2週間後の2月26日に、解剖後の病理検査の結果が出たとの連絡をもらったので、詳しい話を聞くためと、先生方への挨拶も兼ねて、パパと二人で行ってきました。

ピーちゃんの死因ですが、結論から言うと不明です。

先生から説明された事、覚えている限り書きますね。

まず、亡くなる3日前に出していた血液検査(デオキシチミジンキナーゼ活性)の結果からは、リンパ腫の再燃は認められなかったそうです。全身的な所見、病理検査などからしても、最後までリンパ腫の再発はありませんでした。

各臓器の病理の結果ですが、腹水、胃の内部のびらん(胃潰瘍)、肝臓、膵臓の機能低下。膵臓の方は、糖尿病患者の末期に近いような値で、インスリンの分泌がほとんどないに等しい状態だったそう。それと、肺水腫と肺炎が確認されました。

但し、どれも直接死につながるような状態でとは考えにくいそうで・・。

肺炎に関しては、細菌性のものでも、アレルギー起因のものでもありませんでした。

病理の先生も、はっきりとは死因を特定できなかったそうです。ただ、病理の先生が気になっていたことで、肺の一部の細胞が変性していた(実際はもっと難しい表現でしたが、忘れました)そうなのです。
稀に、抗がん剤の副作用で、そのような現象が起こることがあるそうです。でもそれは、肺癌の治療に使う抗がん剤の話で、リンパ腫のピースケに使用してきた抗がん剤(ビンクリスチン、シクロフォスファミド、アドリアマイシン、シタラビン)では例がないとか・・。

でも、過去に例がないとはいえ、どの抗がん剤も、言ってみれば毒なわけで、副作用で肺の組織が変性した可能性も否定はできないそうです。
過去の記録を紐解いてみると、抗がん剤治療を終えて、1ヵ月後から肺音の異常や、咳の症状が始まっていることからも、その疑惑は強まります。

思えば、抗がん剤を切ってから、亡くなるまでの2年11ヶ月の間、ずっと不可解な咳に悩まされ続けました。リンパ腫になるまでは咳をしたことなど一度もありませんでした。大きな病気をしたことで、抵抗力が落ちて、感染症に罹りやすくなってたのかと思ってたけど、結局肺炎の原因は、細菌でもアレルギーでもなかったし。

ここから先は、ピースケの主治医の憶測ですが、長期間にわたり抗がん剤を使用してきた事で、副作用として肺の組織の変性が起き、それが肺炎につながっていた。最後は肺炎により、何らかの分泌液等で気道がふさがれ、呼吸困難に陥った。そして、それがきっかけで、多臓器不全を引き起こし、それら複合的な要因が重なって亡くなったのではないか。だそうです。

先生の話を聞いて、私も納得できました。それが一番真実に近い気がします。

結局、抗がん剤を使ってリンパ腫を退治したことの代償なのでしょう。でも、あの時抗がん剤治療をしなかったら、ピースケはとっくの昔に亡くなっていました。

ピースケ、リンパ腫の寛解と引き換えに、肺に異常を抱えたまま、3年近くも頑張ってくれたんですね。

実は私、ずっと心に引っかかっていたことがありました。今年になってから、私がフルタイムで働くようになった事で、寂しい思いをさせてしまってました。そのストレスが引き金になったのではないかと・・・ずっと自分を責めていました。

先生にその思いを打ち明けたら、「ストレスが引き金になってというようなことはないと思います。」と言ってくださいました。私を傷つけないように気を使って言ってくれたのかもしれないけど、やっと心のモヤモヤが晴れました。

先生は、私達家族には失礼な言い方かもしれないけど、リンパ腫の再燃ではなくてホッとしたと仰っていました。
ずっと定期的に経過観察を続けてきて、その兆候は見られなかったし、見つけようがなかったって。
抗がん剤の影響で、肺に異常を来たしていたなんて、予測のつかないことだったと思います。

長い間親身になって診て頂いたことや、死因の解明に動いてくださったこと、本当に感謝しています。

ピーちゃんが亡くなってしまって、辛いけど・・・悲しくて、寂しくて仕方ないけど、リンパ腫を発症してからの4年間は、神様からの贈り物だったのかな・・。

P

この写真は、ピースケが亡くなった日の朝撮った物です。この写真、しばらく見ることができませんでした。今でもこの写真を見ると、呼吸が辛そうだった姿を思い出してしまって、胸が苦しくなるけど、でもこれがピーちゃんの生前最後の写真なのです。

ピースケは精一杯生きました。その生涯をかけて、私達に無償の愛をくれました。
今は、心の底からお疲れ様と言いたいです。

ピーちゃん、本当によく頑張ったね。
お疲れ様。そして、ありがとう。

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