2011年10月 3日 (月)

琴ちゃん

突然の訃報が舞い込んできました・・・・。

ピースケの頃からのお友達 にゃんこの琴ちゃんが、今日午後永眠されたそうです。

リンパ腫という大病をしながらそれを克服し、他にも沢山の病気と闘ってきた頑張り屋さんの琴ちゃん。

リンパ腫つながりのお友達の中では、琴ちゃんだけが最後まで頑張っていました。

琴ちゃんはみんなの希望の星でした。

だからまだ信じられない・・

リンさんに何て声をかけてあげればいいのか、気の利いた言葉も見つからず、私はブログにコメントできないままでいます。

ただ、リンさんご家族の深い深い愛情に包まれて 琴ちゃんは幸せだったと思います。

そうだよね、琴ちゃん。

 

天国にはピースケもいるから、安心してね。

琴ちゃん、沢山沢山 ありがとう。

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2009年1月22日 (木)

4回目のバースデー?

ピースケがリンパ腫を発症して、今日で4年。

4年前、「今頃死んでいてもおかしくなかった」と言われた日。

だけど、病院の先生を初め、スタッフの皆さんの懸命な処置のお陰で命拾いしたんだよね、ピーちゃん。

だから、今日は生まれ変わったピーちゃんの4回目のバースデーだ!

4年前は、涙ってこんなに出るんだっていうほど沢山泣いた辛い日だったけど、今は命をもらえたことに感謝する日。

ピースケ、4年突破おめでとうo(*^▽^*)o

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4年突破を記念して、ささやかなお祝い♪

なーんて 実はこの写真は19日に撮ったもの。

たまたま親戚の家から立派ないちごをもらったので、ケーキを作って

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そんでもって、たまたまこの日のメニューが、手巻き寿司と唐揚げで、何となくご馳走っぽく見えたから、お祝いの便乗をしたというわけ(^^ゞ

ピーちゃん、手抜きのお祝いでごめんねー

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2008年12月12日 (金)

先生の言葉

ピーちゃんの咳のお薬をもらいに病院に行ってきました。

ステロイド1/2錠 1日1回の投薬は、もう少し続きそうです。

今日の診察は、院長先生でした。
診察後、先生は、カルテをペラペラとめくりながら、

「もうすぐ4年になるんですね。すごいなぁ。」

そう呟きました。

※ピースケがリンパ腫を発症したのは、2005年1月

ピーママ「なんか、もう再発する気がしないんですけど。」

私の発言に対して、先生も、フンフンって頷きながら、

Dr 「そうですよね。僕が今まで診てきたリンパ腫のコの中でも、この子が一番長いです。すごいことです。もう大丈夫ですって言ってあげたいですけど、こればっかりはね・・・。」

最後は言葉を濁していたけど、今まで完治を匂わすような発言は一切してこなかった院長先生の口から、少しだけど希望的な言葉が出てきたんです!

ピースケは一度再発を経験しているし、いつまた再々発するか、最初の頃は正直ビクビクしていました。
だけど、2度目の寛解から1年経ち、2年経ち・・・徐々にその不安は薄れていきました。
リンパ腫のこと忘れたわけじゃないけど、今は再発する気がしないんです。

半分は、私の希望的な思い込みかもしれないけどね。

でも、先生だって、心のどこかで、ピーちゃんはもう大丈夫って思ってくれてるのかも。そう思うと、嬉しくて心が弾んでしまいます。

ピースケ自身は、再発の恐怖など、これっぽっちも感じてないはず。
毎日、ごはん食べて、パパと遊んで、ママに甘えて、お昼寝して・・。普通に生活しています。
普通が一番幸せ。そんな自覚もないままにね。

普通の幸せ大事にしようね♪

今日は、ウキウキを隠しきれないピーママです。

♪:;;;:♪:;;;:♪:;;;:♪:;;;:♪:;;;:♪:;;;:♪:;;;:♪:;;;:♪:;;;:♪:;;;:

リクエストにお応えして、ピースケのパピィ時代の写真を引っ張り出してみました。
スキャナーを持ってないため、写真をデジカメで撮りました。かなり荒い画像ですが、ご勘弁を~

家族になった日(生後2ヵ月半)
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こ、ここどこでしゅか・・・

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今日から家族だぜ。

よろしくな!

おじちゃん・・・・・誰?

初めてのお庭(生後3ヶ月)
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お外こわいでしゅ・・・・

今でも、病院の診察台の上では↑これと同じポーズのピースケです(笑)

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2008年1月22日 (火)

3年経過

悪夢のような宣告を受けたあの日から、今日で3年が経ちました。3年前、

「リンパ腫は完治しない」

「何もしなければ余命1~2ヶ月」

「治療しても半年から1年の命と思ってください」

そんな厳しい言葉を突きつけた後

「長い子では3年くらい頑張っている子もいますから」

そう言って励ましてくれた院長先生の言葉を思い出します。

Image127 当時、私達は、リンパ腫の知識などほとんどなく、いきなり余命がどうの言われたって、全く訳が分からなかったし、「3年くらい~」の励ましの言葉も、それでもたった3年?正直そんな気持ちでした。

その後、リンパ腫について調べれば調べるほど、3年以上生存できるケースは極めて稀なのだと思い知らされました。

いくつもの闘病記を読んでは号泣し、いつかはピースケも?と悲観的になったりしました。

それでも少しでも長く一緒にいたい。1日でも長く生きていて欲しい。私達は迷わず抗がん剤治療を希望しました。

あれから3年。

この3年間、本当にいろんな事がありました。

ピースケは、痛い痛い注射や点滴も頑張りました。

Image128 奇しくも「ガン」 「リンパ腫」というカテゴリーを通じて、お友達も沢山できました。

そして、お友達との悲しい別れも経験しました。

治療が順調に進まず、もどかしい時もありました。

仕事から帰ったとき、いつもと変わらず、ワンワン!って、シッポを振りながら迎えてくれただけで、嬉しくてたまりませんでした。

泣いたり笑ったり・・・決して、たった3年なんかではありませんでした。

毎日を大切に過ごしてきた、かけがえのない3年です。

ピースケが病気になって初めて、普通に生活できる事がどれだけ幸せなのかに気付きました。今まで見えなかったものが見えるようになりました。

贅沢なんてできなくていい。家族揃って笑って過ごせる平凡な暮らしこそが一番の幸せなんだって。

そういう意味では、変な言い方だけど、リンパ腫には感謝しているんです。

Image129 ピースケの挑戦はまだまだ続きます。

再発への不安を拭うことはできないけれど、これからも命あることへの感謝の心を忘れずに、一日一日を精一杯生きていく。それだけです。

どうぞ、これからも、ピースケをよろしくお願いします。

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2007年5月21日 (月)

リンパ腫の話

Photo_162 先週、検診に行ったとき院長先生と少し話した。

ピースケは、すこぶる順調で、寛解キープ1年2ヶ月になる。

この現状に先生も正直驚いているという。内心、いつ再燃してもおかしくないとの思いを抱きながら、経過観察を続けてきたと仰っていた。

他の子と何がどう違うのかは分からないが、ピースケのようなケースは稀だということを強調された。

2年以上寛解を維持できれば完治うんぬん・・についてはどうなのか尋ねてみると、先生は「うーん。。。」と少し考えてから、猫の場合は2年、3年と寛解を維持することもあるが、犬の場合はあまり例がないと言われた。

もし、2年以上経過しても、完治とは考えないとも。

獣医師によって考え方も様々なのだろう。ピースケの主治医が完治はしないというのなら、ずっと寛解を維持すると考えればいいか。要するに油断は禁物ということだ。

それから、先日新聞に載っていた、犬のリンパ腫の確定診断についても少し話した。

新聞の記事を要約すると、

リンパ腫には『T細胞型』と『B細胞型』があり、T細胞型では3ヶ月、B細胞型では1年程度しか生きられない。下痢や嘔吐などの症状が重い消化管型では確定診断には開腹手術が必要だが、飼い主が敬遠することが多く、対症療法のみで弱っていく愛犬を見守ることしかできなかった。が、このほど、採取した十二指腸の粘膜からDNAを抽出し、増殖させることでリンパ腫かどうか判別できる方法を開発した。T細胞型か、B細胞型かの判別も可能になった。

という内容だった。

Photo_163 ピースケの場合は多中心型だが、発症から2年以上生存している事実からすると、B細胞型なのだろう。先生も間違いなくBだと言っていた。

B細胞型は抗がん剤に対する反応もよく、寛解まで持ち込めるケースが多いが、T細胞型はほとんど反応しないらしい。最初からCCNUを絡めたプロトコルが組まれるそうだ。

つまり、TかBかを判別できれば、より適切な処置ができるということだ。

皮膚型や消化管型リンパ腫はT細胞型のケースが多いそう。

少しずついろんな事が研究・解明され、より寛解率の高い治療法が確立されていくのだろう。

いつか、リンパ腫も完治が難しくはないといわれる日が来るのだろうか。

Photo_164 ピースケは4歳4ヶ月でリンパ腫になった。

当時「死んでいてもおかしくなかった」と言われたこの子も、今年の9月には7歳になる。

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2007年3月17日 (土)

リンパ腫治療経過(再発後)

↓の続きです。

8月23日
・・・最悪 寛解の喜びも束の間。再発してしまった。先生から「再発です」と言われ、頭が真っ白になった。やっぱりこの世に神様なんていないよ。
ピーちゃん・・・ごめんね。また頑張ろうね。オンコビン投与。

8月30日
エンドキサン投与。夜、仕事から帰るとピースケが嘔吐していた。息も荒い。

9月6日
好中球が2400しかなかったため、抗がん剤は延期。
今回はどのくらいの期間治療するのか尋ねてみた。少しやり方が変わるが25週。また半年間かぁ。。。先生は初め「基本的にはずっとです」と言っていた。それって、死ぬまでってこと?やっぱり何年も生きることを期待しちゃいけないの?

9月13日
オンコビン投与。
昨日夕方呼吸が荒くちょっと具合が悪そうだったことを先生に伝えるもあまり反応なし。

9月20日
今日はピーちゃんの誕生日。1月にリンパ腫を発症して、半年~1年の命と言われていたからこの日を無事迎えられて本当に嬉しい!
今日はアドリアマイシン点滴の予定だったが、また骨髄抑制で延期になった。レバーとか馬肉が鉄分豊富で造血にいいと思い食べさせていたが、骨髄抑制は造血機能自体が低下しているのであまり意味がないらしい。とにかく来週までに体力付けておかないとね。頑張るぞー。オー!

9月27日
今日は白血球が充分回復しているので点滴しましょう。と言われ、アドリアマイシンを投与した。最後に先生に白血球の数値を尋ねると、実は今日は試薬が古くてハッキリした数は判らないと言われた。え~~~?!ってかんじ。先生、頼みますよー。副作用の下痢止めをもらう。

10月11日
オンコビン投与の日。前回アドリアマイシンだったので副作用が心配だったが元気に乗り切ってくれた。ただ、10/6に原因不明の右足痙攣が起きてちょっとパニック。そのことも報告したが何の回答もなし。

10月18日
やっぱり・・・骨髄抑制起こしていた。エンドキサンは延期。

10月25日
白血球の数は充分戻っている。ということで、エンドキサン投与。それにしても、充分戻っているって、一体どのくらいの数なんだろう。こちらが聞かないと教えてくれないのがちょっと不満。

11月1日
いつもは白血球が減少しているが今回は血小板が減っていた。7600以上が目安だというのに5300しかない。

11月8日
オンコビン投与

11月15日
案の定白血球が減っていた。

11月22日
アドリアマイシン投与。この頃毛抜けが激しいので調べてもらったら、自然な脱毛ではなく、こすったり掻いたりした可能性が高いとの事。

12月20日
エンドキサン投与。最後に肛門腺を絞ってもらった。これできれいなお知りでお正月を迎えられるね。

2006年1月4日
今年初の抗がん剤。今日はパパさんに通院をお願いした。血液も問題なくオンコビン投与できたらしい。見たことない男の先生がいたらしい。

1月14日
12日の朝からピーちゃんの様子がおかしい。落ち着きのない様子で背伸びのポーズを繰り返す。元気も食欲もない。2日間様子をみたが、ウンチしなかった。やっぱり心配なので病院へ行った。たしか去年の4月にも同じような事があったが、その時もオンコビン投与の1週間後くらいだったので、何らかの影響があるのだろうけど結局のところ先生もよくわからないらしい。とりあえず抗生剤をもらって様子をみることになった。

1月18日
12日に元気がなくなってから食欲が落ちていたのに、今日はコタツから出てきてごはんを食べてくれた♪病院でN先生が治療の方針について詳しく説明してくれた。
これまで行ってきた治療は多剤療法といって何種類かの抗がん剤を組み合わせたもの。1~7月までのやり方は、初めの6週間が導入期、その後が維持期。再発してからは25週すべて導入期と考えていいらしい。
今のところ寛解しているが、もし今度再燃することがあれば、今の治療法は限界らしい。メクレタミンという薬があるそうだが、これは入手困難らしい。先生も調べてくれる事になった。
今日の抗がん剤はアドリアマイシン

2月1日
オンコビン投与。血液の状態は白血球が1800しかなかったが、注射決行となった。前回N先生の話では、もし再燃したらレスキュー療法を行うとおっしゃっていたが、今日の話ではもう一度これまでのプロトコルを試してみる価値はあるとの事。でも、治療中に再燃した場合は限界らしい。ロムスチンを使うか、薬剤耐性を打ち消す薬を前投与してからオンコビンなどを投与するやり方も一つの方法らしい。とにかくそんな治療に至らないに限る。神様、どうかこの治療が終わったら、ずーっと寛解していられますように。

2月15日
エンドキサン投与の日。N先生よりレスキュー療法の話あり。先日東京で犬のがん治療の第一人者のK先生にアドバイスしてもらったそう。
血液はなんとかギリギリ投与できる状態だったのでエンドキサンを打ってもらった。

3月1日
オンコビン投与。N先生より再発した時の話あり。一番寛解率の高いMOPPは、メクレタミンという薬が入手困難であるということ、アドリアマイシンはもう使えないということ。故にアドリアマイシン抜きで今までの抗がん剤を使ってみて、ダメならロムスチンを使う事になりそう。

3月15日
このプロトコル最後の予定。
アドリアマイシン点滴中にN先生より今日の治療で一旦抗がん剤を切ると言われた。
今日N先生が「このコがリンパ腫になって、こんな若い子がどうして・・・って可哀想で仕方なかった」と目に涙を浮かべて言ってくれた。すごくありがたかった。つい最近亡くなった子で、リンパ腫だった大型犬がいたそうだが、飼い主さんの都合や金銭的な問題で途中で治療を止めたにもかかわらず、3年1ヶ月生きた子がいるらしい。しかも、最初病院に来た時は瀕死の状態だったのに、治療を始めてからはずっと元気なまま3年過ごし、死因はリンパ腫ではなく他の臓器の癌だったとか。こんな子もいるんだー。希望が出てきたぞ~!ピーちゃん、1年2ヶ月お疲れ様。ピーちゃんは強い子だから、ずっと元気でいてくれると信じてるよ!

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最後まで読んでくださった方、お疲れ様でした。そして、ありがとうございました。

ピースケがみんなの希望の星であり続けられるよう支えながら、毎日を大切に過ごしていきます。これからもよろしくお願いします。

そして、現在闘病中の皆さん。希望を持って頑張ってください!

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2007年3月15日 (木)

リンパ腫治療経過

Photo_129 ピーちゃんが抗がん剤を切って、今日で1年です。この機会に、治療経過について記録していたものをブログにUPしておこうと思います。

発病から寛解に至るまでの経過を、当時の心境なども交えながら、日記形式で綴ったものです。

注)とてつもなく長いです。興味のない方は流し読みしてね。

2005年1月22日
ピースケの顎下リンパ節の腫れが気になり病院へ。思っていたより深刻そう。リンパ液の採取と血液検査をする。全身状態は非常に良いが、白血球が3万以上あり、リンパも若いリンパと成熟したリンパがバランスよく存在しないといけないのに、ピースケの場合、圧倒的に若いリンパが多く、明らかに普通ではないと言われた。アトピー性皮膚炎などがあれば慢性的にリンパ節が腫れる事があるというが、ピーちゃんにアトピーなんてない・・・。考えられる事は腫瘍だという。その可能性が非常に高いとの事。治療するなら、抗がん剤投与を暫く続ける事になる。先生が山大のリンパ腫専門の先生に相談してくれる事のなった。

1月24日
午前9時過ぎ、N先生より連絡あり。やはり間違いなくリンパ腫だと言われてしまった。今は元気にしているが、このまま何もせず放っておけば、あと1~2ヶ月の命という。

午後病院へ。N先生から治療計画について聞く。最初の6週間は毎週、その後隔週で半年間抗がん剤投与を行うようになる。
血液検査をしてから、オンコビン(ビンクリスチン)という抗がん剤を投与。ブレドニゾロンが4日分処方される。帰宅後、普通に食事したが、夜吐いてしまった。元気もない。

1月25日
朝から元気がない。何も食べようとしない。
午後3時L-アスパラギナーゼ投与。昨夜から食欲、元気がない事を告げる。発熱が原因だった。飲み薬をもらう。夜もほとんど食べない。薬を飲ませるのがやっと。

1月26日
朝からグッタリしている。食欲なし。この3日間で随分やせてしまった・・・。

1月27日
朝3回下痢をした。3回目は少し血が混ざっていた。ほとんど寝てばかりだったが、夜10時過ぎに突然起きて、お腹がすいたとものすごいアピール!ささみをすごい勢いで食べてくれた。嬉しくて涙が出る。久しぶりに「ワン!」というこえが聞けた!

2月1日
2回目(2週目)の抗がん剤。エンドキサン(シクロフォスファミド)投与。血液検査は問題なし。今回の薬は副作用で膀胱炎になることがあるらしい。予防のため最後にお尻に利尿剤を注射された。

2月8日
アドリアマイシン(ドキソルビシン)投与。
アナフィラキシーショックの副作用が出ないよう、抗ヒスタミン剤を打ってから。この薬は心毒性があるため、6回までしか使えないと説明を受ける。点滴の間中ピーちゃんはお利口さんにオスワリしていた。大量の生理食塩水も投与したので、帰ってから大量のおしっこをした。

2月15日
オンコビン投与。血液検査は良好。血管からプラスチックの管を通して投与するのだが、もしも漏れるようなことがあると皮膚が腐るので絶対に漏れないように管を通すのだそう。いっぱい出血したけど頑張りました。

2月22日
エンドキサン投与。血液を採取する時、いつもお利口さんに頑張るので看護師さんに「犬って痛くないの?」と聞いたら、「痛いけど我慢してるんだと思います」だって。ピーちゃん、ホントに偉いね(涙)

3月1日
アドリアマイシン投与

3月15日
オンコビン投与

3月16日
元気がない。食欲もいつもと比べるとないような・・・ ピースケにはオンコビンが一番きついみたい。

3月31日
エンドキサン投与。採血の時失敗して多めに出血した。

4月12日
オンコビン投与。狂犬病の予防接種は受けなくてよいとのこと。証明書をもらった。

4月19日
夕方まですごく元気だったのに、夜ごはんを食べている時様子がおかしい事に気付いた。背伸びのような格好を頻繁にする。食欲はあるが、背伸びのポーズをした後元気がなくなる。何なの?

4月20日
やはり朝から元気がない。ささみをほぐしたものをあげると、何となく食べた。背伸びのポーズも相変わらず5~10分おきにする。

病院で検査する。白血球と血小板が減少していた。変なポーズに関しては、お腹が痛いのでは?という診立てで、抗生剤をもらって帰る。夜も元気なし。

4月26日
先週からずっとおかしかったピーちゃんの様子も昨日の夜から急に元気になった。

5月10日
オンコビン投与

5月24日
前日の昼に嘔吐した。
エンドキサン投与。下腹部のふくらみが気になっていたので、先生に病的なものではないか聞いてみたら、脂肪だって・・。はは。フィラリアの薬をもらう。

6月7日
オンコビン投与

6月9日
朝から元気、食欲がない。心配・・・
夜はいつも通り食べた。よかった。

6月21日
エンドキサン投与

7月5日
オンコビンの予定だったが、白血球、特に好中球が減少していて延期になる。

7月12日
血液戻っていた。オンコビン投与。

7月26日
今日抗がん剤を投与すれば一旦治療は終了する。血液検査の結果は良好で無事に注射できた。シタラビンという神経系統に有効な抗がん剤を投与。

ピーちゃん、半年間本当によく頑張ったね。先生も褒めてくれた。
どうか、再発しませんように。
夜、吐いてしまった。でも、食欲あり。大丈夫よね!あすから元気いっぱいのピーちゃんでいてね。ずっと、ずっとね!

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この4週間後に再発します。

続きはまた改めて。

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2007年3月 9日 (金)

順調です♪

今日は通院日でした。

毎度の事ながら、ガチガチに緊張したまま、診察台の上に乗せられ、「コントか!」とツッコミを入れたくなるくらいのブルブル、ガタガタぶりで、先生方の失笑を買っていたピーちゃん。

診察の結果は良好(^_^)

毎回、先生の「大丈夫ですね」の言葉を聞くたびに「よかった~」と胸を撫で下ろす私です。

このところ、体重も3,0~3,1Kgの間をキープしているし、元気いっぱい、食欲モリモリで、とっても順調です♪♪♪♪

病院から帰るとベランダで日向ぼっこ
Photo_127

上から見ると↓こんなかんじ
Photo_128

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2007年1月23日 (火)

2年突破

Photo_101 ピーちゃんのリンパ腫がわかって、昨日で丸2年が経過しました。

2005年1月22日、この日の事は、たぶん一生忘れないと思う。。。

この日もピーちゃんは元気でした。いつものように、朝起きると顔をペロペロしてくれて、いつものように、朝ごはんを催促して、いつものようにムシャムシャ食べて。

健康そのものでした。そう思っていました。病院で受診するまでは。

一見元気そうなピースケを受診させた理由は、その1ヶ月くらい前からあった、顎下リンパ節のしこりが気になったからです。

最初にグリグリを発見したのは夫で、その時は「これって何だ?」「前からこんなのあったっけ?」という程度で、それが重大な病気のサインだとは、全く気付かないまま約1ヶ月も放置していたのです。本当になんてバカな飼い主・・・。

それでも、しこりのことがずっと心のどこかに引っかかっていて、病院で診て貰う事にしたのです。「診てもらって何でもなかったら安心できるから」と。

獣医師の口から、リンパ腫という言葉が出た時には、とても信じられなくて、ショックというより、何が何だかわからなくて・・・・呆然としたまま先生の説明を聞きました。

私達は顎下リンパ節の腫れにしか気付いていませんでしたが、この時既に全身のリンパ節が腫れていたそうです。

確定診断が出たのは、2日後の1/24なのだけど、血液検査、細胞針検査、全身所見などからみて、この日の段階で「ほぼリンパ腫に間違いないだろう」と聞かされました。

ピースケの場合、典型的な多中心型でのリンパ腫の発病でした。

1ヶ月近く前からしこりがあったと告げると、「今頃死んでいてもおかしくなかった」とまで言われました。

私はこの日、午後から仕事に出なくてはならず、涙を堪えて出勤。夫はパチンコ屋へ出かけていきました。こんな時に信じられない!って怒ったけど、彼は彼なりに何かして気を紛らわさずにはいられなかったのかもしれません。

職場では、つい数時間前に、ピースケが癌宣告された事実など同僚達は知るはずもなく、平静を装ってみんなと接するのが本当に辛かった・・。

その日の仕事の内容はほとんど覚えていません。感情を押し殺しているだけで精一杯でした。よくミスしなかったと思います。

その反動で、仕事が終わって車に乗った途端、一気に涙が溢れ出して止まらなくなり、号泣しながら運転して帰りました。今思うとナント危険な(^_^;)

帰宅すると、いつもと変わらず、元気なピーちゃんがいて、何でこんなに元気なこの子が・・・と、また泣いて・・・。

あれから2年。ピースケは今も元気です。2年前のあの日の事を思うと、夢のような現実です。

どこまで寛解を維持できるかわからないけど、かけがえのない日々を1日たりとも無駄にしたくない。ごはん食べて、遊んで、寝て。。。そんな『平凡』という名の幸せをしっかりと噛み締めながら、毎日を大切に生きていこうと思います。ピーちゃんと一緒に。

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2006年12月18日 (月)

今年最後の(?)診察

2週間ぶりの通院日。

今日は受付のお姉さんが新人さんでした。そういえば、1ヶ月くらい前に「動物看護師募集」の広告が出てたっけな。

待合室にも診察室にも他の患者さんがいなくて、すぐに診てもらえました。

Byouinn_1 ピーちゃん、4人のドクター全員に取り囲まれてビビリまくり(笑)

今回も問題なくクリアできました(^_^)

抗がん剤を中止してもう9ヶ月。院長先生、この子はリンパ腫患者としては珍しいタイプだと仰ってました。

発症年齢が若かった(4歳4ヶ月)上に、1度目のプロトコル終了後、すぐに再発しているだけに、正直2度目の寛解は難しいだろうと思っていたそうです。

今まで何頭もの症例を診てきた先生をも驚かせちゃうくらいピースケは凄いヤツなんだ!

ピースケ、同じくリンパ腫と闘っているワンニャンたちにも希望を持ってもらえるといいね!

「まだまだいけそうですかねぇ?」という私の問いかけに

「それは何とも言えないです」と院長先生。

そりゃそうだ。安易に「大丈夫」とは言えないよね。

でも、もっともっと頑張って、先生をビックリさせようね。ピーちゃん。

体調がこのまま安定していれば、今日が今年最後の診察です。

帰り際には少し早いけど「良いお年を~」のあいさつでスタッフの皆さんとバイバイしました。

ここにきて風邪なんか引かせないように気を引き締めて元気に年を越したいものです(^_^)

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